下川氏のブログ(たそがれ色のオデッセイ)は、高校の同期生たちとの交流を契機として、最近、時々拝見させていただくようになりました
そんなご縁にも味方になっていただけたのか、幸運にも本書のプレゼント企画に当選させていただくことができました
そのような次第で、心して本書を熟読させていただきましたので、感謝の念をもってレヴューを記しておきたいと思います
まず、あらためて認識させられたことは、私にとってベトナム戦争は、中学生だった1973年1月のパリ和平協定をもって終結していた、ということです
そんなノーテンキな私でも、サイゴンに育ったベトナム人から、「戦争に負け」「北に支配され」「なにをやるにも北の人間から許可をもらわないといけない」(pp.112-114)などと言われれば、やはり相当な衝撃を受けるであろうと思います
ですから、サイゴン陥落を「アメリカ軍の攻撃に耐え、南北ベトナムの統一を勝ちとった」と、同慶の念にどっぷりと浸った私よりも上の世代の方々にとって、この『南』の人々の思いは、どう消化したらよいものか、とどまどってしまうのは無理からぬことであろうと思われます
むしろ、S予備学校で世界史のO師がベトナムの歴史についてさらった際、東京義塾の設立(1907年)について熱く語り、ディエンビエンフーの戦いや「ユエではないっ!フエだっ!!」と、まるでご自身がフランスを追い払ったかのように語っていた姿が眼前に蘇ってきてしまうほどです
そのようなわけで、本書のなかで、下川氏の思いがあちこち彷徨いだしていくことに、大いに共感を覚えることができたのだと思います
これが、私より少し下の世代になりますと、たとえばちきりん氏のように、ベトナム人ガイドの「ベトナムの最大の天災は共産主義」という言葉に、「余裕と自由さ、さらに知的なエスプリ」を感じることができるようになるわけで(「社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう」pp.85-93(大和書房、2012年))、さすが十年一昔といったところでしょうか
ボートピープルもそうですが、97年の中国返還を前にした香港人がカナダやオーストラリアへ移住していったように、自らの財産と自由を共産主義から守ろうとする気持ちは、私も、もはや自ら稼ぐ力を失ったロートルとなった今、身にしみてわかるようになりました
しかし、どのような環境にあっても、自分の力で稼いで生きていく!というバイタリティにあふれた人々の方が、それ以上に多くいらっしゃるのではないか、とも思われます
本書において随所に見られる、べトナム人の柔軟性に富んだバイタリティの横溢からは、多くの刺戟を受けることができますので、一人でも多くの読者に本書から元気をもらっていただけるよう、そして生活の「豊かさ」ということについて、あらためて思いを馳せていただけるよう、祈念する次第です
では、本書を拝読しての個人的雑感について、いくつか付記しておきたいと思います
①自分の居場所
自分の居場所があると思えることは、とてもありがたいことではないでしょうか?
私も、旺角(香港)、台南(台湾)、メディナ・テンプル界隈(米シカゴ)など、いつでも帰っていけそうなところがある・・・と思えるだけで、ずいぶんと豊かな気持ちになれます
②バス
不案内な土地でバスに乗る・・・このスリル、不思議な楽しさ、皆さんにもご経験があるのではないでしょうか?
③椅子
というより小さな腰掛け・・・気になって仕方がありません
台南の度小月で担仔麺を食べた時、低くて小さな腰掛けにすごく違和感を覚えたのですが、ああした椅子のスタイルは、やはり売り手(=調理人)サイドの都合によるものなのでしょうか?
④コーヒー
恥ずかしながら、ベトナムが世界第2位(!)のコーヒー生産量を誇っていること、全く知りませんでした
「イギリス人のせいで紅茶を作っているが、実は、インドのコーヒーが美味しいんだ」と大学の地理の時間に聞いたことが思い出されます
それにしても、ブラジルのコーヒー農園のような過酷さが感じられないところはさすがベトナムといったところでしょうか
コーヒーの花の香りというのも味わってみたいものだと思いました
⑤公務員
本書が、「公務員という人種は、どの国でもこういうこと(=自分の利権を使って、さまざまな用事をいいつける)をする。それは社会体制とは別次元の話である。」(pp.231-232)との一文で締めくくられていることに、何か大きな意味が込められているのではないかと思われ、考え込んでしまいました