エシンに連れ去られたい:「抑制された思い」(大野正勝氏)その1

日本経済新聞の文化面において、201341日から17日にかけて連載された「抑制された思い」は、これまで私が知らずにいた、同時代の芸術家の魅力的な作品がいくつも紹介されていて、直接この目で鑑賞したい!と思わせていただけたので、ご執筆された岩手県立美術館学芸員の大野正勝氏への感謝の念を込めて、感想を記しておきたいと思います。

 

 

まずは、舟越保武T嬢」(岩手県立美術館蔵)

http://www.ima.or.jp/search/collection/index.php?app=shiryo&mode=detail&lang=ja&data_id=653

 

「抑制」して彫った、というよりは、「削ぎ落とす」ことによって何らかの本質のみを残した、といった趣の感じられるこの石彫。

 

『この像の前では、自らを悼む自分がいるような気さえしてくる』と大野氏は述べておられます。

観音菩薩が慈母観音に変じたのとは逆のベクトルで、母性なり女性性が女性を超越した存在へと高められた・・・、ということでしょうか。


この石彫の前に立った時、確かに『“救い”のようなもの』が感じられるのではないか、と期待されます。

 

 

続いて、坂部隆芳「エシン」(個人蔵)

http://f.hatena.ne.jp/duck25/20130425094241

 

本連載「抑制された思い」の冒頭を飾るにふさわしいと思われるこの油彩。

 

『人物は画面という壁の中に立ち現われた気配のよう』にも思え、『一瞬現れ、静かに消え入りそうだ』と大野氏は述べておられます。

 

『凛としてたたずむ女性』が描かれたこの絵の前に立つことができた時、「どうかそこにとどまっていて欲しい」、「消え去ってゆくのなら一緒に連れて行って欲しい」、と切望したくなる予感がします。

(今、その場面を想像しただけで、もう胸が一杯になってしまい、涙さえ出てきそうです。)

 

絵画から放たれる爆風に吹き飛ばされそうになるのとは逆に、絵画に向かうそよ風に吸い込まれて氷づけにされてしまう・・・

「抑制」の効いた芸術も確かにありうべし、と実感できそうが気がいたします。

 

個人蔵となっておりますが、なんとしても直接この目で鑑賞できる機会を得たいものだと思います。